循 環 の 記



塩 原  経 央     




   鈴木桃野(一八〇〇-一八五二)の随筆集『無可有郷』の中に「狗説」といふのがある。尾張藩邸の西側に野原があつて、そこがゴミ捨て場になつてゐる。桃野が五日ごとに開かれる塾の講義を受けに赴く行き帰り、そこに生後十日に足りぬ捨て犬五匹ほどがゐるのを見つけた。それとなく見ると、五日目は里人が食を与へたらしく、なほ生き残つてゐた。しかし、そのうちに三匹が見えなくなり、最後にはぶち犬一匹だけが生き残つた。捨てられてから十日もするのに、その一匹は生気少しも衰へず、だんだん成長してゆくので、桃野は大いにいぶかつて、少し注意して観察した。
   すると「其(その)食ふところの物は、先に死せる狗児(くじ)の肉なり。已(すで)に二頭を食ひつくし、残れる二頭も腹肚(ふくと)を破りて血を吸ふ様、乳をすふにひとし。これ其死せざる所以なり。再び五日を経て過(すぐ)れば、更に長大にして、強健前に陪す(倍の書き誤り)。死狗の肉も已に尽たり。猶食を求めて彷徨する様、望みて其逸物なるを知れり」。桃野はさう記してゐる。
   本当はその凡物ならぬ犬を飼ひたかつたのだが、家人が犬を嫌ふのであきらめたとし、世に出られぬ儒者によくある語り口で「世人、其才ありて、其人に遇(あ)はず、或は遇て其際会に遇はず、朽果(くちはつ)ることあり。狗児を見るによりて洪歎(こうたん)をなせり」と結んでゐる。世の中といふもの、才能がありながらとかく見出してくれる人に出会ふことがなく、またせつかく見出してくれる人がゐても登用される機会がない、さういふ嘆きだ。
   いくら自らを恃むところがあつても、その才をはらからの死肉を食らひ血を啜つて生き延びるぶち犬に譬へるとは、桃野の胸中の思ひにはとてもついてはゆけないものがある。そのやうな光景を想像するだけで吐き気を覚えるくらゐだ。かうした嫌悪感は、恐らく私だけの反応ではあるまい。一神教徒ならぬ日本人には、露骨に過ぎる優勝劣敗の原理で勝ち抜く強い生命力など、賛美の対象とはしない精神の型が、きつと遺伝子の中に刻印されてゐるのだらう。
   前夜読んだ本のことをそんな風にぼんやり考へながら、電車の窓から漫然と秋晴れの外の景色を見てゐた。稲刈りが終はつて、土の色の目立つ田の畦に一群れのコスモスが咲いてゐる。もう盛りが過ぎたのか、花の勢ひもなく、季節の足早さに置いてけぼりを食つたかのやうな寂しさをどこか湛へて見えた。ススキの別の一群れはともすれば秋の野の光を自らの身の内から発してゐるとでもいふやうに白い穂をしなやかにまばゆく輝かせてゐた。秋長けて天高く、彼方には富士の雄姿も望まれる。あと一カ月ばかりは穏やかな季節が続くであらう。けれどもまた、厳しい冬も目に見えないところから確実に忍び寄つて来る。
   いつの間にか、脳内に漂ふ白雲のやうな思念は、狗説からそちらの方にゆるゆると流れていつた。人生に秋があり冬があつて年々歳々老いゆくのを免れ得ぬやうに、季節もまた今、その老いの寂しみを過ぎ行く秋の色に映してゐる。
   さうだ、日本人にはさうした四季の経巡るさまを目に見、心に感ずることの方が、精神衛生にかなつてゐるのだ。生存競争ではなく、自然の運行のままに調和することで、日本人は安寧の心を得る民族なのだ、と自ら合点して少し安心する気分になつた。
   すると「いや、私がもう少し若かつたら、もしかすると桃野に共感するものがあつたかもしれないではないか」と思ひ返してみた。自然の運行のままにといつても、自然と人生には決定的な違ひがある。「冬来りなば春遠からじ」といふ。自然の四季は冬の次には又の春が約束されてゐる。しかし、人の一生には冬の次の春はない。そのことが、生命力が衰微期に入つた己の、ぶち犬のあまりにもあからさまな生命力の強さを悪むことにつながつてゐるのではないか。
   この考へは、老いといふものはかくも残酷であるか、といふめまひのするやうな衝撃を私に与へた。老いの向かうには死があるのみ。死とは暗黒の絶対無の始まりなのだ。人の一生は信長のころは五十年、今は八十年を超えるほどに延びたが、それでも永遠の暗黒「絶対無」に比べれば、夢まぼろしのやうなものだ。ある者がこの地上に生きて何をしたか、死して暫くは記憶にとどめてくれる者もゐよう。だが、大方は五十年、いやその半分以下の二十年を経ずして、その名前はおろか、さうした存在のあつたことすら誰も知らない絶対無に還元してしまふに違ひない。
   しかし、さう性急に絶望しなくてもいいと、また思ひを返す。「『個体としての生命』には『細胞としての生命』の時代にはなかつた『死』があらはれてくる」と、木下清一郎博士はその著『心の起源』(中公新書)に書いてゐる。けれども、多細胞生物はその個体としての生命の死と引き換へに、死すべき個体の中に不死を約束する生殖細胞を創造したのだ。生殖細胞は自己複製機能を有し、それによつて「生殖細胞系列は、連綿として世代を重ねていくことができる」(同書)のである。  この究極の安心があるために、人は自らの人生を四季の経巡るさまに重ねて、人生の秋や冬の到来に絶望しないでゐられるのだ。生命は個々の肉体を何回も何回も脱ぎ捨てつつ連綿として継承されてゆく。その循環性をありありと感じるがゆゑに、人生の秋や冬にうろたへずに済むのである。
   ところが、その循環性が今やこの日本で崩れかけてゐる。いや既にもう崩れてゐる。少子化社会は社会の世代ごとの循環の仕組みを壊し、年金などの制度自体を腐食させるのみならず、「生殖細胞系列は、連綿として世代を重ねていくことができる」といふ個体生物の根源的な存在理由さへも崩壊しようとしてゐる。合計特殊出生率の新推計中位はつひに一・三九にまで下落した。この数字は百年後に日本人の人口が半減することを示してゐる。単純に言へば、今の日本人の半分は自己複製に失敗して淘汰されてしまふといふことだ。もつと言へば、現存日本人の半数が確実に永遠の「絶対無」を今から約束されてゐるといふことにほかならない。
   少子化社会はある一つの要因があつて生じたものではない。もしさうだとしたら、その発生要因を取り除けば済むのだから、それほど深刻な問題ではない。だが、実際は手術もかなはぬほどにさまざまな病因が組み合はさつて少子化社会といふおぞましい実態が現出してゐる。だから、その主要な病因を除去しても、既に発症してしまつた「少子化社会」病を根治させることはできないが、病状緩和のために一つだけ主要な病因を挙げて警戒することを呼びかけておかう。
  それはマルクス主義の亡霊のフェミニズムである。保守主義者の油断を衝いて「男女共同参画基本法」が制定されたのを橋頭堡に、フェミニストが政府の審議会や政府自体の内部に潜り込み、静かなる文化大革命を実行してゐる。毛沢東の文化大革命が奪権闘争であつたやうに、フェミニズムは子を産み育てることよりも富や権力の分配を男と平等にせよと要求する一部女の自己正当化のための奪権闘争なのである。
   働く女性にとって、育児や老齢化した身内の介護ほど煩はしいものはない。だから、託児所をもつともつと作れと要求し、介護保険を作つて、家族の役割を社会に丸投げする。「三つ子の魂百までも」といふが、三歳児までは母が子に付ききりで育てることが、子の言語能力の高さや、安定した情緒のバランスが得られるといふ、先人の生活から得た経験知を根拠のない三歳児神話だと否定し、挙げ句の果てに専業主婦は子に依存する遅れた女だと中傷する。働く女が男同様税金を払つてゐるのに、専業主婦に配偶者控除があるのは法の下の平等に悖るとして、たうとう配偶者控除の廃止まで勝ち取つてしまつた。実際は、配偶者の分までサラリーマンは支払つてゐるのに、だ。
   この文化大革命は、産み育てるといふ母性、自己の自由な振る舞ひを制約する家族を否定すること、まるでエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』が説くところそのものだ。多細胞個体に与へられた生命の継承の仕組みを放棄して、祖先の恩恵をないがしろにし、子孫のことを思ひ遣らず、ただ一個自分が生きてゐる間の富や権力の分配を優先して考へる、この恐ろしいイデオロギーと闘はなくては、日本といふ国家は言ふに及ばず、日本人といふ民族の生命の痕跡も遠からずこの地上から掻き消えてしまふだらうことは論を俟たない。
   そのとき、奪権闘争に成功したかに見えるフェミニストもまた、永遠の暗黒の世界に等し並みに墜ちることになるのは皮肉と言へば皮肉である。
         (平成十五年十一月二日)




(鹽原經央、しほばら・つねなか。詩人。「文語の苑」幹事。國語問題協議會評議員。日本新聞協會用語懇談會委員。産經新聞東京本社編緝局校閲部長。著書に『校閲記者の泣き笑い人生』( チクマ秀版社)がある。本文は文藝誌『水鏡』との同時掲載である。本文の著作權は筆者塩原経央が保有する。無斷轉載を禁ず)