携 帶 電 話
                                                             高池 勝彦


   携帶電話が普及してゐる。大分前に、一般加入電話の臺數をこえたと新聞に出てゐた。若い者や學生、特に高校生中には中學生も携帶電話を持つてゐる。電車内で大聲で長々話してゐる。聞えてくる話の内容はくだらないものが多い。
   そのせゐか、最近電車に乘ると、車掌がアナウンスで、車内での携帶電話の御使用は御遠慮下さいとか、車内での携帶電話は他の乘客の迷惑になるとか、言ふやうになつた。これがうるさい。電車が驛で停車して發車する度に言ふ。私は日曜日でも大體仕事をするので、地下鐵に乘る。一輛の電車の約數名の乘客である。各驛毎にこのアナウンスがある。
   私も時代に抗せず、携帶電話を持たされることになつた。私が、裁判所へ行つたり、その他外出してゐるとき、緊急の聯絡を傳へるのに、必要だといふのである。私は事務所や自宅にゐるときには携帶電話のスイッチは切つてゐる。電車に乘つてゐるときには切つてはゐないので、稀に掛るときがある。そのときには出る。もつとも、私は地下鐵に乘ることの方が多いので、地下鐵では圈外となりかからない。
   確かに、車内放送がいふやうに、携帶電話はうるさいし、迷惑である。ペースメーカーに有害であるともいはれてゐる。しかし、携帶電話が發明されて、普及してしまつた以上、ある程度はこの迷惑は避けられない。居直つていふならば、携帶電話は電車等に乘つてゐるときにこそ、必要なものである。もちろん、車内での通話は最小限の時間で濟ませる努力や、小聲で話すなどの努力はしなければならない。それが公衆道徳である。不必要に携帶電話を使つてゐる者たちにその公衆道徳を教へる必要がある。ところが、車内放送のうるささや押しつけがましさはそれをはるかに超えてゐる。
   記憶であるから、正確な引用はできないが、福田恆存さんが書いてゐたことがある。車がほとんど通らない場所で信號が赤のとき、青になるまで大人しく待つてゐる。そんなときには安全を確認して、渡つてよいのではないか、と。また、福田さんが、東京から東海道線で歸宅するとき、深夜か何かで、車内には福田さん以外には餘り乘客がゐなかつたとき、思はず煙草を吸つた。すると、車掌がきて、居丈高に禁煙車だからと注意したのださうだ。また、別の機會に東海道線で歸宅途中事故か何かで、電車が長時間立ち往生したのださうである。電車は滿員で、赤ん坊を連れた母親も交つてゐた。煙草の煙がたちこめ、車内の空氣が極端に惡くなつてゐた。そのためか、赤ん坊も泣き叫んでゐた。通りかかつた車掌に福田さんが喫煙者に暫く煙草を吸はないやうに注意したらどうかと言つたら、車掌はこれは禁煙車ではないからと答へたといふのである。
   私は、毎日車内のうるさい放送を聞く度に福田さんのこの文章を思ひ出してゐる。
   私が現在扱つてゐる事件に次のやうなものがある。コンビニエンスストアに勤めてゐる二十五歳の女性が夜十一時半頃、東横線の車内で、仕事のことで店長に聯絡するのを忘れたことを思ひ出し、彼女は電車の入口のところで、店に電話した。すると、奧の座席から三十五歳の男が近寄つてきて、車内では携帶電話使つてはいけないことを知らないのか、とからんできた。そのとき、携帶電話の御使用を御遠慮下さいといふ車内アナウンスがあつた。彼女は仕事の電話なので切ることができず電話を續けた。そればかりではなく、餘計なお世話だと言ふやうなことを言ひ返した。その男は、車内で彼女のジャンパーを引つ張り膝で蹴り上げた。その後も毆つてきたので、次の驛で電車をおりた。すると、男はプラットフォームで、彼女に對して、毆る蹴るを數十囘繰り返し、顏が大きくはれ上がり、肋骨が折れた。驛員も警察もきて、彼女の顏を冷したタオルで濕布などしてくれた。男は男で、彼女が抵抗するとき、彼女の手が顏に當つたとかで、顏が痛いと主張した。
   事情が分かつたのに、警察はその男を逮捕せず、私がその後告訴しても、何も進行させない。理由は、彼女の携帶電話が原因だからだといふものである。そこで、現在民事裁判を起こし、損害賠償を請求してゐる。この民事裁判でも同樣の現象が生じてゐる。
   事實上の第一囘の期日のときに、原告代理人である私も被告の代理人も和解で終了させたいと述べたのに對し、若い裁判官は、携帶電話は惡いから、判決を書きたいと言つたのである。私はこれだけの傷害事件なのですよと抗議すると、でもその誘因は携帶電話にあるのだからといふ。これには驚いた。もちろん、敗訴といふことはあり得ないが、この若い裁判官が極めて僅かの損害賠償しか認めない判決を書きさうな氣がする。
   この男のやうな、正義の主張は、やはり車内放送が作り出してゐるのである。携帶電話は確かにはた迷惑である。しかし、携帶電話といふ害惡をもたらすものが發明されて使用されてゐるとしたら、緊急の短い聯絡のため、車内で使用することもやむを得ないのではないだらうか。それがどの程度の迷惑になるか、常識を働かせる個々人の判斷力をもつと高める必要がある。車内放送のやうな畫一的な押しつけがましい方法では達成できないと私は思ふ。 (「新風」平成十二年十月號)




(たかいけ・かつひこ。辯護士。日韓辯護士協議會理事。「昭和の日」推進國民ネットワーク事務總長。國語問題協議會評議員、荒魂之會贊助會員、電腦文字研究會代表委員、「文語の苑」發起人)