最近の歴史觀をめぐる判決について(十三)



辯護士  高池 勝彦    




中國人勞働者福岡事件福岡地裁判決

  このところ數囘にわたつて、いはゆる戰後補償問題で國に損害賠償の支拂を命じた判決について述べてゐるが、今囘は、國ではなく、企業の損害賠償義務を認めた判決について述べる。いはゆる戰後補償關係で、戰後四度目の損害賠償を認めた判決といふことになる。
  最初の關釜事件山口地裁下關支部判決は、韓國人の元慰安婦三人に各三十萬圓、合計九十萬圓の損害賠償を認めた。次の、劉連仁事件東京地裁判決では、劉一人(劉は裁判の途中で亡くなつたので、その遺族數名)に對して二千萬圓の支拂を認めた。そして前囘述べた浮島丸事件京都地裁判決では、原告等の内、生存者の原告十五名に對して、各三百萬圓合計四千五百萬圓の賠償を認めた。
今囘述べる中國人勞働者福岡事件福岡地裁判決は(注)、十名の原告等に對して各一千百萬圓、合計一億一千萬圓の損害賠償を認めたのである。一連の戰後補償裁判を支援する組織のホームページではこの事件を、中國人強制連行・強制勞働福岡訴訟とよんでゐる。
(1)事案の概要
  判決文にいふ事案の概要は次のとほり。
  本件は、中華人民共和国(以下「中国」という)の国民である原告らが、日本政府が昭和一七年一一月二七日に行った「華人労務者内地移入に関する件」(片仮名表記は、適宜、平仮名表記にする。以下同じ。)と題する閣議決定により、昭和一八年及び昭和一九年ころ、被告らによって日本へ強制的に連行された上、被告会社が経営する三池鉱業所及び田川鉱業所等において過酷な労働を強制され(以下、「本件強制連行」、「本件強制労働」といい、併せて「本件強制連行及び強制労働」という。)これによって、深刻な精神的苦痛を被ったとして、被告らに対し、謝罪広告の掲載及び慰謝料の支払を求めた事案である。
  ここで、被告らといふのは、國及び三井鉱山株式会社である。過去、民間企業が被告となつたのはいくつかあるが、それほど多くはない。しかし、これからは増えるのではないか。
  右閣議決定については、劉連仁事件で述べた(本誌三月號)。
  判決は、「前提となる事実」といふ表題で、次のやうな歴史的事實を述べてゐる。以前述べた最惡の判決よりははるかにましではあるが、問題のある記述をしてゐる。とはいつてもこれは現在の我が國における一般的な見解かもしれない。
  関東軍は、昭和六年九月一八日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こし、満州事変が始まった。続いて、関東軍は、昭和七年一月、上海事変を起こし、同年三月、満州国の建国を宣言させ、同年九月、日本政府は、満州国を承認した。昭和八年三月、日本は、国際連盟からの脱退を通告し、同年五月、日中軍事停戦協定(塘沽停戦協定)が結ばれて満州事変は終わったが、その後も、関東軍は、華北への進出の機会をうかがっていた。こうした中、昭和一二年七月七日、北京郊外の盧溝橋で日中両国軍の衝突事件が発生し(盧溝橋事件)、戦線は、中国各地に広がっていった。これに対して中国国民の抗日救国運動が起こり、国民政府は、同年九月末、共産党と第二次国共合作を行って、抗日民族統一戦線が成立した。日本政府は、昭和一三年には、「国民政府を対手とせず。」「日満華三国連帯による東亜新秩序の建設が戦争目標である。」とする声明を発し、昭和一五年には、それまで中国各地に樹立していた中華民国臨時政府や中華民国維新政府といった日本の傀儡政権を統合し、南京に新国民政府を成立させた。しかし、国民政府は、その後も抗戦を続け、日本は、中国との全面的な戦争をするに至った。そして、昭和一六年一二月八日、日本は、アメリカ及びイギリスに対して宣戦布告し、太平洋戦争が開始された。
  その後、判決は、「太平洋戦争」開始後の日本國内の勞働力不足から、右閣議決定、その後の中國人勞働者導入のいきさつを述べ、原告等が主張してゐるILOの強制勞働に關する條約、ハーグ陸戰條約、極東軍事裁判所條例に觸れてゐる。



(2)原告側の法的主張
  @國と三井の共同不法行爲
  A使用從屬關係に基く保護義務違反
  B本件強制連行及び強制勞働に基く保護義務違反
  C國に對して、國が本件強制連行及び強制勞働を積極的に隱蔽し、その實行者に對する刑事訴追を行はなかつたことについて、權利行使妨害の不法行爲
  D國に對して、刑事制裁義務の懈怠に基く不法行爲



(3)裁判所が認定した事實
  判決は、認定事實の表題の下に、詳細な事實を認定してゐる。ただこれが例によつて、被告側の提出した證據ではなく、すべて原告側の證據によつて認定されてゐるやうであるので、どこまで正確なのか疑問が殘るが、その裁判所が認定した事實を略記してみる。
中國人勞働者の移入政策
  劉連仁事件で述べた閣議決定後の昭和十九年の次官會議決定に從ひ、華北出身者については、華北政務委員會の指導の下、華北勞工協會によつて供出された。
  供出方法には、行政供出、訓練生供出、自由募集及び特別供出の四方法があった。行政供出とは、中国側行政機関の供出命令に基づく募集で、各省、道、県、郷村へと、上級庁から下部機構に対し供出員数を割り当て、責任数の供出を行わせるものである。訓練生供出とは、日本現地軍が作戦により得た俘虜、帰順兵で、一般良民として釈放しても差し支えないと認められた者、及び中国側地方院において微罪者を釈放した者を、華北労工協会において下渡しを受け、同協会の有する各地の労工訓練所において、一定期間(約三か月)渡日に必要な訓練とした者を供出することである。また、自由募集とは、主要労工資源地において、条件を示して、希望者を募るものであり、特別供出とは、現地において、特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機関の在籍労務者を供出するものである。日本に移入された中国人労働者三万八九三五人のうち、行政供出によるものは二万四〇五〇人、訓練生供出によるものは一万〇六六七人で、これを合計すると、全体の九〇パーセント近くになる人数であった。
  華北政務委員会は、中華民国臨時政府の管轄下に昭和一五年に設置された、軍事と経済において広範囲の権限を付与された政府機関である。
  日本政府は、同年八月、華北において労務者強制供出体制を採ったため、これを受けた華北政務委員会は、傘下の各省、市、道、県に「重要労働力緊急動員」の密令を発し、昭和一九年八月から昭和二〇年三月までを緊急動員期間とした。この期間に、華北政務委員会及び各省、市、道、県の行政長官は、自ら率先して労務動員総部を組織し、その責任において労働者強制徴収計画を立て、華北労工協会及び日本軍政当局がこれに協力し、あるいは武力でこれを支援した。行政供出といわれるものの実態は、このような強制徴収であった。
  事業主が「華人労務者移入雇傭願」を厚生省に提出し、厚生省が中国人労働者の「割当」を決定することにより、中国人労働者の意思にかかわらず事業主との間に労使関係が生ずることとされていた。(中略)中国人労働者と事業者との間において、雇用契約あるいはこれに類する契約が締結されたことはなかった。
  昭和一九年次官会議決定は、中国人労働者の使用に当たっては、中国陣の民族性を考慮してその慣習に急激な変化を来さないようにすること、雇用主には十分同情と理解を持って中国人労働者を使用させるように留意させることをその根本方針とした。
  その後、日本政府が具體的にどのやうに中國人勞働者の處遇に付いて配慮したかを述べ、また現實の處遇や死亡者數など詳細に述べた後、どの職場でどれくらゐの勞働者が勞働に從事したかも詳細に述べてゐる。その中には、原告等に對する本件強制連行の實態として次のやうな記述が見られる。
  原告らは、村役人から日本軍の工事現場等の人夫となる勧誘を受けて出かけて行き、途中から軍や警察に拘束されて塘沽まで連行され、収用されている者が多かった。また、原告Fと原告Hの二人は、突然家に押し入ってきた日本兵に銃を突きつけられて、連行された。
  このように、原告らは、欺罔又は脅迫を受けた上、その身体の自由を拘束されたのであり、逃亡も反抗もできないままに日本に連行された。
  これもまた例によつて原告本人の言ひ分だけから判斷したものであらうが、輕率な判斷である。その後、田川鑛業所と三池鑛業所の強制勞働の實態が述べられてゐるが、同樣の問題がある。兩鑛業所とも過酷な勞働條件の下で働かされ、賃金は支拂はれなかつたといふ。
  その上、「被告会社を始め、中国人労働者の移入を受けた事業主は、戦争末期から戦後にかけて、……本件強制連行及び強制労働によって生じた損害の補償を被告国に要求して、被告国から多額の補償金を獲得した。」その内譯には、終戰前の經費と、移入費、管理費、送還費、賃金まで含まれてをり、三井が受け取つたのは約七百七十四萬圓である(判決の認定ではこれは現在の貨幣價値に換算すると數十億圓にもなるといふ)。
  判決はまた、外務省報告書が、外務省によつてどのやうに作成され、隱蔽され、發見されたかも詳細に認定し、さらに、サンフランシスコ講話會議から日中國交囘復前後に至る日中兩國のやりとりも記述されてゐる。



(4)裁判所の法的判斷
  @について、被告等の共同不法行爲を認めた。
  行政供出等の実態は、前記のとおり、欺罔又は脅迫により、原告らを含む中国人労働者の意思に反して強制的に連行したものであったことが認められる。
  また、中国人労働者の日本国内での就労状況についても……居住及び食糧事情、被告会社の従業員による暴力等の点に照らして、劣悪かつ過酷なものであったといわざるを得ない。
  そして、被告會社については民法第七百九條及び七百十五條の不法行爲責任を認めた。一方、國については國家無答責の法理を適用して否定した。
  Aについては、これは安全配慮義務のことであるとして、原告等と被告會社の間には、契約關係又はそれに準ずる關係はなかつたから、認められないとした。
  Bについては、被告等は、一應の保護義務を果したとして否定した。
  CもDも、單にそのやうな不法行爲は認められないとした。
  ところで、被告會社は、民法第七百二十四條前段の時效、後段の除斥期間の主張をしてゐるので、判決はそれに對して詳細な判斷をしてゐる。判決を略記する。
  被告会社の行為は、戦時下における労働力不足を補うために、被告国と共同して、詐言、脅迫及び暴力を用いて本件強制連行を行い、過酷な待遇の下で本件強制労働を実施したものであって、その態様は非常に悪質である。 また、被告国の外務省は、……外務省報告書を作成したが、後にその廃棄を命じたこと、そうであるにもかかわらず、被告国の総理大臣及び政府委員らは、……中国人労働者の就労は自由な意思による雇用契約に基づくものであった旨の答弁を国会において繰り返し行ったこと、平成五年に至り、外務省報告書とその関係書類の謝罪が初めて一般に知られるに至ったこと、昭和四七年の日中共同声明及び昭和五三年の日中平和友好条約により、……中国政府が日本に対する損害賠償請求を放棄した旨の条項があり、同条項が民間人の損害賠償請求権を含むか否かについては、中国国内でも議論があったことなどの事情を考慮すると、被告らにより、原告らの権利行使を著しく困難にする状況が作り出されていたのであるから、原告らが平成一二年又は平成一三年になって初めて本件訴訟を提起するに至ったこともやむを得ないというべきである。
  さらに、被告会社は、原告らにその労働の対価を支払うこともなく、十分な食事を支給していなかったにもかかわらず、これを行ったことを前提に、本件強制労働の実施による損失補償として、被告国から七七四万五二〇六円を受け取っており、これは現在の貨幣価値に換算すると数十億円にも相当する(弁論の全趣旨)このように、被告会社は、本件強制連行及び強制労働により、戦時中に多くの利益を得たと考えられる上、戦後においても利益を得ている。
  判決は、以上のやうに述べて、除斥期間を本件に適用させると、「正義に反した法律関係を早期に安定させるのみの結果に帰着しかねない点を考慮すると、その適用に当たっては、正義、衡平の理念を念頭において判断する必要があるというべきである。」として、除斥期間の規定を適用しないこととした。
  判決は、原告等の損害としては、慰謝料として一人、一千萬圓、辯護士費用として百萬圓、を認めたのである。


(5)論評
  原告側は、除斥期間の規定を適用すべきではないとする主張の中で次のやうなことをいつてゐる。
  原告らは、本件訴訟において、外務省報告書及び事業場報告書を書証として提出した。したがって、主張立証が困難事情は存しないにもかかわらず、被告らは、原告らの主張にかかる事実に対して認否及び具体的な主張を一切行わない。
  原告側は被告等のこのやうな態度はけしからんと主張してゐるのである。この點は、原告側の意圖とは反するが、同感である。通常の訴訟であればこのやうな訴訟戰術も當然であらうが、この種の國家政策の基本にかかはるやうな問題についてはそのやうな姑息な戰術は許されないと思ふ。原告等の挑戰に對して正面から對決するべきである。
  しかし、本判決の結論にはやはり無理がある。たとへば、戰勝國民が受けた損害について敗戰國が損害賠償といふ形で支拂ふといふ形で、戰後處理が國家間で終了した後、戰勝國の國民が敗戰國又はその國民に對して損害賠償が認められることになれば、受けた損害に對して二重に賠償を得けることになる。日中間においては中國が損害賠償を放棄したが、理論上は同じである。 また、除斥期間の主張を排斥する論理については本誌五月號で述べたとほり、反對である。

   福岡地裁平成十四年四月二十六日第三民事部判決、判例タイムズ一〇九八號二百六十七頁。



辯護士  高池勝彦