最近の歴史觀をめぐる判決について(十一)



辯護士  高池 勝彦    





  前囘まで二囘にわたつて劉連仁強制連行・強制勞働損害賠償請求訴訟の一審判決(注一)を述べたが、引き續いてその結論部分について述べる。


(6)裁判所の判斷・除斥期間の適用 續き
  本件の、前囘述べた分を要約する。裁判所は劉が終戰を知らずに約十三年間北海道の山中を逃亡してゐたことについて、劉は、強制的にわが國内に連行され、強制的に勞働に從事させられたのであるから、國には、強制連行された者を保護する一般的な作爲義務があるとした。そして具體的には厚生省の擔當官には、劉が逃亡中に生命身體の危險を豫測できたのであるから、國の保護義務と劉の逃走による被害との間には相當因果關係があると判斷したのである。

  しかし、民法第七百二十四條後段の不法行爲のときから二十年といふ權利行使の期間制限は、除斥期間であり、この期間の始期をずらすことも認められない、すなはち不法行爲のとき、つまり劉が發見された昭和三十三年一月末ころであるとした。

  したがつてこの理論からすると、國にはたしかに劉を保護する義務があり、それを怠つた、しかし、除斥期間を經過してゐるので、劉は損害賠償を國に請求することはできないとなる。しかし、判決はさうではなかつた。それを前囘どんでん返しを喰はせるといつたのである。 裁判所は、除斥期間を經過してもなほ、除斥期間の適用を制限する場合があるかどうかについて判斷した。

  原告側は、除斥期間説をとつたとしても、次の最高裁判決を引用して、一定の場合には、「二〇年の経過という一事をもって、原告らの請求権を否定することが、著しく正義と公平の理念に反する」と主張した。

  どのやうな場合かといふと、「@本件不法行為の残虐性と被害の重大性、A本件不法行為、損害賠償義務の存在の明白性、B原告の権利行使の不可能性、D被告の地位と義務者保護の不適格性の各具体的事実」である。

  原告が引用した最高裁判決は豫防接種ワクチン禍上告審判決である(注二)。 これはいはゆる豫防接種禍集團訴訟のうちの東京訴訟で、東京高裁で敗訴した原告等(豫防接種を受けた幼兒およびその兩親)の上告審判決である。概略を述べる。

  豫防接種を受けた幼兒と兩親では請求原因も異り、したがつて結論も異つてゐるので、ここではその幼兒だけについて原告として述べることにする。

  原告は生後五ヵ月で、豫防接種法に基いて痘瘡の集團接種を受けたが、その一週間後から痙攣、發熱を發症し、まつたく意思能力のない寢たきりの状態となつた。

  接種の時から二十二年經過して原告が二十二歳になつて、原告は國に對して國家賠償法第一條に基く損害賠償、安全配慮義務違反による損害賠償、または憲法に基く損失補償を求める訴訟を提起した。もちろん原告は意思能力がないのであるから、禁治産宣告を受け父親が後見人に選任され、後見人が訴訟を提起したのである(注三)

  東京高裁は原告の請求をいづれも認めなかつた。國家賠償については、除斥期間經過後であるから認められないといふものであつた(注四)

  最高裁は、民法第百五十八條と對比させて次のやうに述べた。

  民法一五八条は時効の期間満了前六箇月内において未成年者又は禁治産者が法定代理人を有しなかったときは、その者が能力者となり又は法定代理人が就職した時から六箇月内は時効は完成しない旨を規定しているところ、その趣旨は、無能力者は法定代理人を有しない場合には時効中断の措置を取ることができないのであるから、無能力者が法定代理人を有しないにもかかわらず時効の完成を認めるのは無能力者に酷であるとしてこれを保護するところにあると解される。

  これに対し、民法七二四条後段の規定の趣旨は前記のとおりであるから、右規定を字義とおりに解すれば、不法行為の被害者が不法行為のときから二〇年を経過する前六箇月内において心身喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には、右二〇年が経過する前に右不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま、右請求権が消滅することになる。しかし、これによれば、その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に二〇年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、二〇年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があることは前記時効の場合と同様であり、その限度で民法七二四条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。

  したがって、不法行為の被害者が不法行為のときから二〇年を経過する前六箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が禁治産宣告を受け、後見人に就職した者がその時から六箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法一五八条の法意に照らし、同法七二四条後段の効果を生じないものと解するのが相当である。



  そこで、この原告については、東京高裁に差し戻しになつた。

  本件原告が右最高裁判決を援用して本件においても除斥期間の規定の適用を制限すべきであると主張したのに對し、被告の國は、この最高裁判決は、不法行爲を原因として心神喪失の常況にある者について限定的に例外を認めただけであるから、本件には適用されるべきではないと主張した。

  裁判所は次のやうに判斷した。



  この問題に関しては、除斥期間の規定が不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図しているものであり、基本的には二〇年という時間の経過という一義的基準でこれを決すべきものであることは否定できないというべきである。しかしながら、このような除斥期間制度の趣旨の存在を前提としても、本件に除斥期間の適用を認めた場合、既に認定した甲太郎の被告に対する国家賠償法上の損害賠償請求権の消滅という効果を導くものであることからも明らかなとおり、本件における除斥期間の制度の適用が、いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅という効果に直接結びつくものであり、しかも消滅の対象とされるのが国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのが除斥期間の制度創設の主体である国であるという点も考慮すると、その適用に当たっては、国家賠償法及び民法を貫く法の大原則である正義、公平の理念を念頭においた検討をする必要があるというべきである。すなわち、除斥期間制度の趣旨を前提としてもなお、除斥期間制度の適用の結果が、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限できることができると解すべきである(略)。



  そこで、以上のような観点から本件をみると、次のように言える。

  まず、その前提となる事実関係については、前記認定のとおり、本件損害賠償請求権の対象とされる被告の行為は、被告が前記甲太郎に対する救済義務を怠った結果、甲太郎をして一三年間にわたる北海道内での逃走を余儀なくさせたことにあるが、その原因は被告が国策として決定し実行した甲太郎に対する強制連行、強制労働に由来するものであること、被告の外務省は、中国人の日本への移入に関し、昭和二一年(略)に全国一三五の事業場に事業場報告書の作成を命じ、調査員を事業場に派遣し現地調査報告書を作成させ、これをもとに外務省報告書を作成し、その結果、甲太郎が強制連行され昭和鉱業所での強制労働に従事させられ、それに耐えかねて逃走をした事実は明らかになっていたと言えること、昭和三三年(略)二月、甲太郎は一三年ぶりに北海道内で発見され保護された後、被告に対して謝罪と損害の賠償を要求したこと、同年三月、甲太郎の問題が衆議院外務委員会で取り上げられたが、被告の首相及び政府委員は、甲太郎が昭和鉱業所で稼働していた事実と外務省報告書の存在は認めたものの、報告書については現在外務省に残っておらず、事実関係を確認できないとの答弁に終始し、結局甲太郎の強制連行、強制労働の事実を認めず、その結果甲太郎は損害賠償を得られなかったこと、外務省報告書とその関係書類は、平成五年(略)、東京華僑協会に保管されていることが明らかになり、その存在と内容が一般に知られるに至ったこと(略)、以上の事実が認められる。

  そして、以上の事実、特に、昭和三三年(略)二月、甲太郎から被告に対し、被告が国策として行った強制連行、強制労働とこれに由来する一三年の逃走生活についての損害の賠償の要求がなされた時点で、被告の担当部局において、既に国策として行っていた強制連行、強制労働の行為によって甲太郎に重大な損害を与えたことが明らかにされている公文書を作成していたにもかかわらず、その所在が不明との理由で、詳しい調査もせずに甲太郎からの要求に応ぜず、その結果、甲太郎の損害の賠償を得られないまま放置し、その後外務省報告書の存在が判明したことによって事実関係が明らかになり、本件の提訴に至ったという事実経過に照らすと、被告は、自らの行った強制連行、強制労働に由来し、しかも自らが救済義務を怠った結果生じた甲太郎の一三年間にわたる逃走という事態につき、自らの手でそのことを明らかにする資料を作成し、いったんは甲太郎に対する損害賠償に応じる機会があったにもかかわらず、結果的にその資料の存在を無視し、調査すら行わずに放置してこれを怠ったものと認めざるを得ないのであり、そのような被告に対し、国家制度としての除斥期間の制度を適用して、その責任を免れさせることは、甲太郎の被った被害の重大さを考慮すると、正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし、また、このような重大な被害を被った甲太郎に対し、国家として損害の賠償に応じることは、条理にもかなうというべきである。よって、本件損害賠償請求権の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。


  裁判所はこのやうに結論し、損害賠償額について二千萬圓を認めた。これはこの種の事件でははじめての巨額な賠償額である。はじめて原告に損害賠償を認めた關釜元從軍慰安婦事件の山口地裁下關支部判決が、ひとり三十萬圓であつたことと比較されたい。

  裁判所は、國側の官僚的な對應に苛立つてゐるのは判決文から讀み取れるが、論旨には疑問がある。そもそも前にも述べたが、劉が日本にきて勞働に從事したことについて、劉自身が強制連行強制勞働であると主張するのはもちろん理解できるが、國際法的に、強制連行強制勞働にあたるのかどうか。もし、強制連行強制勞働であるとすれば、劉の逃走は犯罪行爲から逃れる行爲であるが、強制連行強制勞働でないとすれば、逃走自體が違法行爲にあたる可能性がある。現在の觀點からみれば、もちろん劉の逃走生活が過酷であつたことは容易に想像がつくが、この問題は現在の觀點から考へるべきではない。判決は、その點で、劉の過酷な逃亡生活にのめり込み過ぎてゐる。

  また、判決は、前號で述べたやうに、國家無答責の原則から本件の強制連行強制勞働は法例第十一條第一項(注五)の不法行爲にはあたらないとしてゐることと比較して、判決が認めてゐるのは、強制連行強制勞働ではなく、その後の救濟義務であるとはいつても、釣合がとれるのかどうか疑問である。

  さらに、除斥期間の考へ方が豫防接種の事例とは異るのではないか。劉は日本政府に對して、理論上は二十年の除斥期間内に請求できたのではないか。豫防接種の事例では理論上請求できなかつたのである。劉の場合は、劉が勞働に從事し、その後逃走して保護され、中國に送還されたといふこと自體の立證は何もむづかしいことはないはずであるから、理論上請求できたが、外務省報告書が發見されなかつたので、事實上立證が難しかつたといふにとどまるのではないか。

  我が國は、通常は時效や除斥期間について、起算點や中斷など明確なものだけを嚴しく適用してゐる。私は、この判決のやうに、正義公平をいわばアメリカにおけるコモンローのやうにゆるやかやかに解釋するといふのも一つの道であるとは思ふが、さうであれば、この種の戰後補償の事例にだけ適用されるのきはめて不公平である。その意味でこの判決の影響はかなり大きく、重大であるといはなければならない。

  この判決について、福田康夫官房長官は、「嚴しい判決」であると述べ、その後國は控訴し、現在東京高裁で繋屬中である。しかし、おそまつなのはこの訴訟についての國の對應である。新聞によると、厚生勞働省の擔當者はこのやうな訴訟が起されたことも知らなかつたといふのである(注六)

  この判決の後、多額の損害賠償を認めた判決がいくつか續くことになる。次囘からそのやうな判決について述べることにする。



  訂正 前號の國家無答責の原則が認められるかどうかについて、「現在の國家賠償法施行以前において、國の權力作用に基く行爲による損害については、一般的に國に損害賠償責任を認める法令上の根據が存在しなかつたのであるから、認められない。」と述べたが(二十二頁下段)、何が「認められない」のか趣旨を明確に理解されるやうにこの最後の部分を「一般的に國に損害賠償責任を認める法令上の根據が存在しなかつたのであるから、國の責任は認められない。したがつて、國家無答責の原則が適用される。」と訂正する。



注一 東京地裁平成十三年七月十二日民事第十四部判決、判例タイムズ一〇六七號百十九頁。

注二 平成十年六月十二日最高裁第二小法廷判決、民集五十二卷四號一千八十七頁、判例時報一千六百四十四號四十二頁

注三 これは成年後見制度が制定される(平成十二年四月一日施行)以前のことで、現在では、成年後見人である。

注四 平成四年十二月十八日東京高裁判決、判例時報一千四百四十五號三頁

注五 事務管理、不當利得又ハ不法行爲ニ因リテ生スル債權ノ成立及ヒ效力ハ其原因タル事實ノ發生シタル地ノ法律ニ依ル

注六 産經新聞平成十三年七月十三日 この部分を引用する。

東京地裁判決で、旧厚生省が救済義務を怠った、と批判されたことについて、構成労働省社会・援護局企画課の担当者は十二日、「寝耳に水。いきなり判決文に書かれても『分からない』としか言いようがない」と困惑した表情。

  宇野裕課長は、「訴状も受け取っておらず、いつ提訴されたかも知らなかった。国の訴訟には所管する省庁から代理人を出すが、この訴訟では法務省からの連絡もなく、出していなかった」という。




辯護士  高池勝彦