最近の歴史觀をめぐる判決について(四)



                               辯護士  高池 勝彦




   前囘までで、中國人被害者損害賠償事件の東京地裁判決が、事實關係について、いかに誤つた認識を示したかを述べた。最後に、この判決の法的判斷を述べる。


5、判決の國際法分析


   第一囘で述べたやうに、被告國は、「要するに、仮に原告ら主張のとおりの事実関係があったとしても、その損害につき、原告らが個人としてわが国に対して直接損害賠償を求める権利はない」とだけ答辯し(九十八頁、注一)、事實關係についてはまつたく答辯してゐない。原告李秀英の本人尋問も反對訊問さへしてゐない。國はその國際法上の根據を詳細に展開してをり、この原被告間の國際法上の論爭についての裁判所の判斷こそが、この判決の中で、もつとも必要且つ重要なことであり、結論自體は妥當であるといふ點についても第一囘で述べた。
   この判決では、事實に關する判斷の末尾に法的判斷を述べ、また、次に項を改めて、法的問題についての判斷が述べてゐるが、この點奇異に感ずる。前に述べた高校生のレポートのやうにこなれてゐないことを示してゐる。


   前囘述べた、我が國の侵略行爲などについて「我が国は、今後も反省し続け、将来にわたるアジアの平和と発展に寄与すべく最大限の努力をしなければならないというべきであり、これを否定することはおよそ許されないというべきである。」にすぐ續いて、「しかるところ、後記のヘーグ陸戦条約三条が仮に個人の請求権を根拠付けとしても、講和条約などによる請求権放棄の法的効果が問題となり得るので、ここで言及しておく。」と述べ、その後サンフランシスコ平和條約十四條の、聯合國が聯合國及びその國民の日本に對する請求權を抛棄する、との規定、あるいは、日中共同聲明において、中國政府が日本政府に對する戰爭賠償の請求を抛棄する、との規定について、議論してゐる。
   まづ原告等の主張を、以のやうに要約してゐる(百九頁)。これは阿部浩己助教授の意見書および同助教授の證言を要約したもののやうであるが(注二)、第一に、共同聲明の起草過程においては南京虐殺などの問題が兩國代表によつて審議されなかつたのであるから、今囘の請求は共同聲明で抛棄されてゐない。第二に、共同聲明で抛棄抛棄した主體は、中華人民共和國政府であり、個人は除外されてゐるから、原告等に請求權がある。第三に、個人の請求權は、個人の固有の權利であり、政府の判斷によつて抛棄できるものではない。個人の請求權が個人の固有の權利であるといふことは、ヘーグ陸戰條約三條(注三)でも認められてゐる。同條が個人を請求主體に取り込んだ規定で國際人道法の世界的權威によつて支持されてゐる。憲法九十八條二項により同條は國内法としての效力を有する。いままで問題にされなかつたのは被害者の聲が封殺されてきたからであり、日本やドイツで第二次大戰中の不正義が語られるやうになつたのはやうやく一九九〇年代に入つてからである。
   右の要約に對して、判決は、次のやうに述べる(百十頁)。


   当裁判所は、結論としてこれを採用することができないとするものである。なお、右のうち、「日本やドイツで第二次大戦中の不正義が語られるようになったのは、ようやく一九九〇年代に入ってから」であるというのは、明らかに事実に反するもので、ドイツにおいても我が国においても、敗戦以降現在まで繰り返し右「不正義」が語られ、その責任が問われていたものである。そして、前記及び後記のとおり、ドイツと我が国は実質的に全く異なる戦争をそれぞれがしていたというのがより実相に近いのであり、戦争に至る経過、戦争犯罪の質量、右「不正義」の内容など、それぞれが別個のものであるから、本件を見るに際して、ドイツの場合と我が国の場合とを対比すること自体に格別の意味があるとは考えられないのである。


   右はまともな議論である。さらに、


   我が国の中国を含むアジア諸国、諸民族に対する侵略行為につき、我が国の政府が「反省とお詫び」を繰り返し表明しているものの、それらをもって既に十分な謝罪表明がなされているというべきか、きちんとした謝罪表明がいまだになされていないというべきかについては、我が国の国民間においてすらなお議論のあるところである。


   と言つて我が國が中國を含むアジア諸國にどのやうに對應すべきであるかは政治的外交問題であり、本裁判の主題ではないので觸れない、と述べる。右の點は事實認識としては正しいが、しかし、前號まで述べて來た、我が國が中國に對して永久に反省しつづけなければならないといふ判決の論調からすれば肩すかしであらう。この肩すかしは、さらに續く。


   「戦争犯罪」や、「戦争被害」について個人が外国国家に対して直接損害賠償を求めることができるという権利を認めるのが相当であるかという国際法的な一般問題に関するかぎりで言及すると、……一応の平和条約が締結され、あるいは、これに相当する共同宣言、共同声明等がされて戦争状態が解消されてから、二〇年、三〇年、更には五〇年、一〇〇年も経過した後にまで、右戦争等について十分な謝罪等があったかないかを問い、その上国家間ではなく、個人の損害について個人と外国との間についてまで法的に賠償を求める権利を有するとすることが、果たして真実将来にわたる諸々の国家ないし民族間における国際的な平和と友好に資するものであるかについては相当の疑問があるといわざるをえない。


   これも議論としてはまともであるが、謝罪派にとつては前の論調と正反對であり、これは何だといふことになるだらう。さらにまともな議論が續く。


   原告らの主張のとおり、……戦争等の歴史を学び、それを反省の糧とすることが極めて重要かつ有意義であるとしても、それと同時に、現在及び将来にわたる諸国ないし諸民族間の平和と友好関係を構築し、戦争の惨禍を再び繰り返さないということこそが……至上の要請であるとすれば、……相互に相手方の国家ないし民族の在り方を受容し尊重することが大前提となるのである。……個人が国家間の外交交渉によることなく、外国に対して過去の戦争被害につき損害賠償を求めることができるという権利を是認することは、……国家間、民族間、各地域における平和と安全を図るというより大きな枠組みで見れば、全体として紛争の火種を残すに等しく、将来にわたる戦争を防止するという観点からして有害無益と考えざるを得ない。すなわち、右戦争被害に関して、当該個人の被害の存否、右被害が戦争によるものであるかどうか、その損害賠償額を幾らとすべきかということを個々人と外国国家との間で決するべき権利関係として認め、右個々人と外国との間の直接の交渉によって解決することになれば、いずれ本件のような訴訟が無数に提起されることになり、前記のような平和条約等によって国家間においては賠償問題が決着したにもかかわらず、延々と個人と外国との間の紛争が係属し続けることにならざるを得ない。……国家間、民族間、各地域における平和と安全を図るという大きな枠組みで見れば、戦争状態の解消後もなお大きな紛争の火種を延々と残し、賠償の存否、履行をめぐる権利としての戦争を正当化することにすらなりかねないと考えざるを得ない。


   さうして、原告等の主張は、國際法上の權利としては認められないと結論してゐる。「現在及び将来にわたる諸国ないし諸民族間の平和と友好関係を構築し、戦争の惨禍を再び繰り返さないということこそが至上の要請である」といつた道徳的な記述が含まれてゐることは問題であるとしても、結論としては妥當である。さうだとすると判決が何の爲に延々と事實(歴史)認識を述べてきたのか、が問題となる。
   以上が、法的判斷を述べてはゐるが、判決の事實の摘示部分なのである。この後がいよいよ國際法の判斷となる。ここでは、論點ごとに詳細な判斷を示してゐるが、結論はともかく幾つか問題點もある。


   (一)まづヘーグ陸戰條約第三條について
   同條は支那事變當時の日本軍にも適用されると述べる。その際、判決は、一九三七年からの日中戰爭を我が國では「日華事変」といつたと述べてゐるが、當時の我が國では「日華事変」とはよばなかつた。「支那事變」である。
   その上で、原告等が、個人が國家に對して請求權を認めたと主張する事例や條約の起草過程の議論を逐一反論してゐる。同條が國内法となつてゐるとの主張にも反論してゐる。この反論は相當詳細で、今まで述べて來た事實に關する主張よりも長い。


   (二)次は法例第十一條第一項(注四)について
   原告等は、本件加害行爲が中華民國民法の不法行爲に該當し、法例第十一條第一項を介して我が國に適用されると主張してゐる。
   判決は、この法例といふのは明治三十一年に制定された國際私法に關する法律であり、この規定があつたからといつて、當時個人と國家との間には國家無答責の原理、つまり公權力の行使による個人の損害に對して國家は責任を負はないといふ原理が採用されてをり、このことは外國の個人に對しても同樣であるとする。この結論自體は妥當であるが、判決のこの項には幾つか見逃せない誤つた記述が見られる。今まで述べてきたところと重複するが、述べる。
   判決は、「外国に対する侵略戦争……が違法であること、許されないものであることは、……国際的にも承認されていた」として括弧書で「少なくとも第二次世界大戦まで、場合によっては現在ですら、戦争は国家の合法行為であるという観念が支配的であったと考えられており、それゆえ、東京裁判の冒頭手続において、アメリカ軍人の弁護人は、我が国の戦争についてその指導者責任を問うことは許されず、ひいては右裁判自体許されない旨の弁論をしたのである。もっとも、前記のとおり、ポツダム宣言には戦争責任者を厳罰に処することが記載されており、我が国はこれを受諾し、また、サンフランシスコ平和条約においても、東京裁判を是認したのである。」と述べるが、問題點がある。
   我が國の指導者の戰爭指導者責任を問ふことが違法であると主張したのは、アメリカ人辯護人だけではない。日本人の辯護人も強力に主張したのである。むしろ、清瀬一郎辯護人、高柳賢三辯護人が力説したところである。しかも、清瀬辯護人の冒頭陳述は、以前からよく知られてゐるものであるのにそれを無視してゐるのはどうしたことか(注五)。
   「前記のとおり、ポツダム宣言には戦争責任者を厳罰に処することが記載されており」といふが、誤りである。ポツダム宣言にはどこにもそのやうな文言はない。類似の箇所をさがせば、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては、嚴重なる處罰を加へらるべし」である。しかも、判決は、「前記のとおり」といつてゐるので、該當箇所をさがすと、ポツダム宣言を正確に要約し、「戦争犯罪人の厳罰」と書いてゐるのである。戰爭犯罪人と戰爭責任者とは異るのに、故意か過失か、混同してゐる。
   サンフランシスコ平和條約が東京裁判を是認したといふことも重大な誤りである。 これは平和條約の十一條についてであるので、まづ同條文の前文を讀んでもらひたい。


   日本国は、極東国際軍事裁判並びに国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半數の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。


   この條文全文を讀めば、戰爭終了後の講和條約締結に伴ふ經過措置に關する規定であることは歴然としてゐる。條文の日本語譯(外務省譯)の「連合国の裁判」のうちの「裁判」は誤譯であり、「判決」とすべきであるといふ學説があるが(注六)、いづれにしても裁判の内容を受諾したものではない。國際法上、第一次世界大戰前の戰爭絡結後の講和條約では、交戰國は、「交戰法規違反者の責任を免除する規定」を設けるのが通例であり、これをアムネスティ條項とよんでゐた。これが國際法上の慣習法となり、アムネスティ條項がなくても講和條約發效に件ひ、講和條約にはアムネスティ效果が與へられることになつてゐた。
   そこで、サンフランシスコ條約が發效すれば當然アムネスティ效果が與へられ、同條約發效時に國外に收監されてゐるいはゆる多數の戰犯を直ちに釋放しなければならない義務が、聯合國側に生ずる。また、國内に收監されてゐる戰犯については日本國政府が直ちに釋放しても問題はないわけである。しかもこのやうな措置がそれまでの講和條約では通例であつたのに、例外的に我が國に對してのみ、國内に収監されてゐる戰犯を聯合國の了解なしに釋放してはならないと定めたのがこの條文の趣旨である。
   これは國際法の常識であり、また當時の我が國の法曹界の常識でもあつた。たとへば、昭和二十七年五月に、毎日新聞社が發行した『対日平和条約』といふサンフランシスコ講和條約に關する當時の解説書がある。「はしがき」は、「解説にあたっては、特定な立場にとらわれず、客観的に叙述するに努めた」と述べてゐる。同書の、「判決の受諾と刑の執行」の項で、その常識を述べてゐる(二百十六頁)。また、當時の日辯連も同様の趣旨のもとで、昭和二十七年六月七日「戰犯の赦免勧告に關する意見書」を政府に提出したのが口火となつて、戰犯釋放運動が「僚原の火の如く」全國に廣がつたといはれてゐる(注七)。
   昭和二十七年六月から七月にかけて、日辯連の幹部が、日辯連會長の「戰犯赦免に關する勧告書」を携へて歐米を歴訪し、ローマ法王をはじめ各國の首腦と會つて、東京裁判の不當性および戰犯の釋放を、世界各國に訴へたといふことさへある。憲法改正反對、PKO反對、有事法制反對、と政治的には左翼的な主張ばかりしてゐる現在の日辯連をみるとまさに隔世の觀がある。當時の日辯連を知らない私など、同じ日辯連とは信じられない。このやうな常識がいつの間にか失はれ、意圖的にか無知からか日本政府は、東京裁判の内容すべてを受諾したのであるといはれるやうになつた。
   たとへば、藤原彰教授は、『南京大虐殺否定論13のウソ』(平成十一年柏書房)の中で、「日本国は東京裁判並びに他の戦犯裁判の判決を受諾」したのだから、「南京大虐殺の存在を公式に承認したのである」と主張してゐる(二百四十一頁)。 本件判決もそれと同じ誤つた結論に陷つてゐる。
   本號で、中國人被害者損害賠償事件について終へようと思つたが、まだ述べたいことがあるので、紙數の關係で、次囘にまはすことにする。



注一 判例タイムズ一〇二八の頁數。以下同じ。
注二 判決には阿部浩己助教授とあり、私は同氏がどのやうな人物であるか知らないので、インターネットで調べたところ、神奈川大學助教授、國際人道法の專門家とのこと。
注三 ヘーグ陸戰條約第三條 前記規則(ヘーグ陸戰規則)ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戰當事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付責任ヲ負フ。
注四 事務管理、不當利得又ハ不法行爲ニ因リテ生スル債權ノ成立及ヒ效力ハ其原因タル事實ノ發生シタル地ノ法律ニ依ル。
注五 小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』講談社学術文庫參照。なほ最近、菅原裕『東京裁判の正体』(国書刊行会)が復刊された。菅原氏も辯護人の一人である。
注六 佐藤和男『憲法九条・侵略戦争・東京裁判再訂版』原書房昭和六十二年。以下の説明も同書による。
注七 板垣正『靖国公式参拝の総括』展転社平成十二年、三百十八頁。




(本文は『月曜評論』誌平成十四年十月號掲載論文の元原稿です。掲載時のシリーズ名は「戰後最惡の判決」。十月號第四囘の主題は「“南京問題”を通して知る裁判官の歴史認識」でした。)